
山川健一(写真左)/作家、アメーバブックス新社取締役編集長。早稲田大学商学部卒。1977年、『鏡の中のガラスの船』で「群像」新人賞優秀作受賞、ロック世代を代表する作家として注目される。最新作は「ここがロドスだ、ここで跳べ!」(アメーバブックス新社)。2011年4月より、東北芸術工科大学芸術学部文芸学科学科長教授に就任予定。山川さんのブログ「イージー・ゴーイング」は、http://ameblo.jp/yamaken/
坂本政道(写真右)/モンロー研究所レジデンシャル・ファシリテーター。(株)アクアヴィジョン・アカデミー代表取締役。東京大学理学部物理学科卒、トロント大学電子工学科修士課程修了。1977年からソニー(株)と米国SDL社にて半導体レーザーの研究開発に従事するも、自身の神秘体験がきっかけとなり、変性意識状態研究に専念するために退社。2005年に(株)アクアヴィジョン・アカデミーを設立、日本におけるヘミシンク普及の第一人者として活躍。著書多数。


- ──千葉高校の同級生だった山川さんと坂本さんが再会することになったいきさつからお話ししていただきたいのですが。
- 山川さん(以下敬称略)僕のほうのストーリーからまず話すと、あるとき突然、オーラが見えるようになったんですよ。このことは『ヒーリング・ハイ』(早川書房)や『オーラが見える毎日』(大和出版)に書いたので興味のある人はそちらを読んで欲しいんですが、ある日、アルファロメオのオートマチックに乗っていたら、突然、地面に紫色のレーザービームみたいやつがシュシュシュって走ってね、「あれ、なんだろう!?」と思った瞬間、それが額から入ってスコーンと頭をぬけていったという体験をしたんです。そのときは、オレ、もう死ぬんじゃないかって思いましたけど。それがきっかけでオーラが見えるようになったという経験があったんです。
- 坂本さん(以下敬称略)それって若い頃の話?
- 山川いや、1995年ごろかな。それで、この世界というのは、目に見える世界だけではないなと。その『ヒーリング・ハイ』という本に、高校時代の体外離脱の経験も書いたんだよね。そしたら、坂本が電話をくれたんだよな。『お前の本、読んだけど、実はオレも体外離脱するんだよ』って。『え? マジで!? じゃあ会おうよ』っていうんで、高校を卒業して以来何十年ぶりかで再会したわけですよ。
- 坂本何年だっけ。
- 山川坂本が最初の本を出す前だから、1999年くらいじゃなかったか。



屋久島の森に立つ坂本さんと山川さん
- ──坂本さんはいつから体外離脱するようになったんですか?
- 坂本話すと長くなるんで、長い話を短くするとですね(笑)、1987年に僕は、それまで10年間勤めていたソニーを辞めて、アメリカのベンチャー企業に転職したんです。それで、カリフォルニアのサンノゼで、気楽でハッピーな生活を送っていたんですが、一方で、子どものころからずっと抱いていた死の恐怖、死の問題を解決したいというのがずっとあって、アメリカ生活に慣れたころに臨死体験の本をいろいろ読み出したんです。アメリカではその手の本がたくさん出版されていたんですね。そのときに、臨死体験しなくても体外離脱して同様の経験をするロバート・モンローという人がいると知って、彼の本を買ってきて読んだんです。で、自分でも体外離脱できるんじゃないかって練習し始めて、4カ月くらいたったころ、ある朝起きたら、なんか変なんだよね、自分の様子が。自分の寝息が聞こえるのに、意識ははっきりしてる。そのとき、自分の肉体の中で、自分自身がグルッと回転する体験をしたんです。その後、似たような体験を繰り返すうちに、自分の肉体からスルッと抜け出られるようになるわけです。
- 山川いつごろ?
- 坂本1989年頃かな。臨死体験をした人が光の存在に会うといった話がいろんな本に書いてあるんだけど、ロバート・モンローは自分もそういう光の存在に会って、死後世界も見、そのことで死に対する恐怖が無くなったと本で語ってた。体外離脱の練習をしたのも、自分で死後の世界を探索して死の恐怖から解放されたかったからだけど、体外離脱してもぜんぜん死後の世界に行けないんですよね。自分の家のまわりをグルグル回っているだけ(笑)。だったら、別に体外離脱しなくたって、歩いて出りゃいいじゃないかみたいな(笑)、そんな状態でした。でも、その体外離脱の経験から、自分と肉体は別々に存在しているんだということだけは確信できたんです。でも、その後、1996年に日本に帰ってきてからも、特に何にもしてこなかったんだよね、山川に再会するまでは。?
- 山川その話を聞いて、その話、面白いから本にすればって、たま出版から最初の本を出したんだっけ?
- 坂本そう。アメリカのモンロー研究所(ロバート・モンローが設立した研究所でヘミシンクの開発研究をここでおこなっている=編集部注)に行ってヘミシンクを体験するようになるのは、その本を出したあとあたりからだね。やはり死の問題をどうしても解決したいという気持ちがヘミシンク体験に向かわせたんだよね。アメリカのモンロー研究所に行ってヘミシンクのプログラムに参加すれば、死後世界を体験できるだろうと思って、行き始めたんですよね。それは、2001年の4月ですね。一度行ったら病みつきになって(笑)、それから年3回のペースで行くようになったんですよ。
- 山川読者のためにヘミシンクとは何かって説明しておいたほうがいいよね。ヘミシンクっていうのは、バイノーラルビート理論に基づいたものでさ、バイノーラルビートというのは、左右の耳に異なる周波数の音を聴かせたときに、その周波数の違いによって生じるうねり音のことだね。たとえば、左耳から100Hz、右耳から104Hzの音を同時に聴くと、脳内ではその差の4Hzのバイノーラルビートが発生して、それに脳波が同調すると言われてる。これを利用して、脳波を誘導することで、瞑想などにふさわしい変性意識状態に導くというのがヘミシンクなわけだ。
- 坂本それを発見したのがモンローさん。で、そのモンロー研究所での体験を本に書いたらすごく反響があって、それからどんどん本を書くようになった。2005年にアクアヴィジョンという会社を立ち上げて、日本人をモンロー研究所に連れて行って日本語でセミナーを受けられるようにしたり、日本でも同じようなワークショップを開いたりし始めたってわけだね。

- 山川坂本が監修して日本語ナレーションのヘミシンクのCDを作ってくれたのは、これはひじょうに大きなことで、それまでのヘミシンクは英語ができてアメリカに行けるお金がある人しかできない、ま、特権階級のフェラーリみたいなものだったのを(笑)、T型フォードにして民主化したようなものだよな(笑)。おととし、坂本のワークショップに、友達みんなで大挙して行ったよね。そしたらものすごく効いたというか、一人のヤツは体外離脱して天井から自分を見おろしていたとか、僕も体外離脱して歩き回ってたりして、これはスゴいなということになって、みんなでヘミシンクの日本語バージョンのCDを買って帰ったんですよ。それで、それからは、それこそストーンズにはまったときとか、マッキントッシュにはまったときと同じようにヘミシンクにはまって、とにかく毎日ヘミシンク。iPodに入れて歩きながらも聞いてました。
- 坂本くれぐれも運転しながら聞いちゃダメだよ。
- 山川もちろん、それはしないけど、家から会社(アメーバブックス新社)まで、聴きながらゆっくり歩いてくると、ちょうど1セッションなんだよね。それを毎日してたら、そのうち、隣を歩いているヤツがいて、「誰、これ!?」って。それが僕の最初に出会うガイド(守護霊的存在のこと=編集部注)で、僕はスパイダーマンって名前をつけてるんだけど、それは僕にとってものすごい体験だった。そのうち、こんどは知らない女のコが部屋にいるのが見えるようになって、それは妖精セリって言うんですけど、そういう生活が今も続いているんですよね。その体験を『リアル・ファンタジア』(アメーバブックス新社)というノンフィクションにしたんだけどね。現実、リアルっていうのがあるんだけど、確実にもう一つの別の世界もあるんだよ。
- 坂本モンロー研究所では、いろんな意識状態にフォーカス10とかフォーカス12とか番号をつけて区別しているんだけど、フォーカス12の状態はサンスクリット語でなんとかっていう状態なんだと、ヨガをしている人から言われたこともありますね。結局、同じことを人類は昔からやってきたんだね。
- ──ヘミシンク人口って確実に増えているような気がしますが。
- 坂本そうですね。どんどんどんどん、すそ野が広がっているような感じがしますね。まだまだ中高年が主ですが、これが若者の間に広がっていく可能性は十分あって、そうすると一気に広まっていくような気はするんですね。サラリーマンの人は、通勤のときに聴いている人が意外と多いようですよ。
- 山川僕はiPhoneに全部入れている。だから歩きながらも聴けるし、超便利だよ。


- ──山川さんにとって、ヘミシンクとの出会いは人生で大きな意味を持つものでしたか?
- 山川ものすごく大きかったですよ。坂本のおかげでヘミシンクをして、さらにアクアヴィジョンでセミナーに参加して、さらに自分でヘミシンクのCDを聴くことで、世界観や人生観、あるいは自分の書く小説も含めて、ぜんぶ変わったように思います。
- 坂本山川はさ、ピンク・フロイドとかさ、若い頃から聴いていたわけでしょ。ピンク・フロイドって実はスゴイ。ピンク・フロイド聴いても上のほうに行くんですよ。
- 山川そう。僕は個人的にピンク・フロイドで飛べるんです。
- 坂本直感的に作ったと思うんだけど、ピンク・フロイドの音楽は実にうまくできていて……。
- 山川僕はもう、高校生の頃からピンク・フロイド。
- 坂本だからそのころからヘミシンクの練習してたようなもんだね(笑)。
- 山川ピンク・フロイドを聴いて熱いお茶飲むと、あっ、飛んでるっていう(笑)。話飛ぶけど、大野百合子さんっていう人がいて、坂本にも一回会ったことがあるって言ってたけど。
- 坂本うん、名刺もらったことがあるね。
- 山川その大野百合子さんの過去世退行療法っていうのがもう何ヶ月待ちなんだって。その大野さんと蕎麦屋の離れで蕎麦食ったときにね、「山川さん、やってみます?」って言ってもらったんだよね。蕎麦屋の個室だったんだけど、そんな場所でもできるものかなと思った。そしたら大野さんは「山川さんは回路が開いているから、すぐこの場でできる」って言うんだよね。「じゃあお願いします」ってことでやってもらったんです。前世退行催眠をね。これはすごかったよ。自分の前世に行ったんですよ。僕は鎌倉時代の僧侶でした。自分では、もしかしたら華厳宗の明恵上人だったのかもなあって、そのとき感じたんだけどね。家に帰ってからね、うちの娘に、実はかくかくしかじかで前世に行けたんだよって言ったら、「わたしも行きたい」って言うから、じゃあ、お前を実験台にして試してみるかって。
- 坂本娘さん、何歳?
- 山川25。
- 坂本そんなに大きいんだ。まだ、5、6歳かと思った。
- 山川それで、ピンク・フロイドをかけたんだよ。大野百合子さんと違ってこちらは素人だから、ピンク・フロイドの力を借りたわけだよね。僕なりにアレンジして、娘をリラックスさせて、試してみた。そうしたら、できたんですよ。娘、最後は泣いていたからね。
