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熱犬通信
Hot-DogPRESS創刊のころ、巻頭は各界で活躍する若者たちのエッセーコラム集となっていた。それが『熱犬通信』。OYAJI Hot-Dog PRESS復活を記念して、今号からその『熱犬通信』も大復活。ついでに、読者の皆様にも開放いたそう。エッセーを大募集だ!!

  • 面白いのはこれからだ

    シンヤアキヒロ 写真家・炭焼き業

    35年間の東京暮らしにバイバイして、移住した先は、大阪の北の外れ能勢というところでありました。田舎暮らしをしたいしたいしたいと、この数年呪文のように唱えておったんです。畑なんかつくってね、雨降ったら家にこもって本読んだり、大工仕事でノコギリ引いたり鉋かけたりね。天気よくてヒマだったらバイクに乗ってどっか行ったり、まさに天下泰平自給自足のおきらく生活。

    デモネ、なかなかネ、そう簡単じゃありません。子供だって3人もいるし、仕事だってあるわけですから。しかし、そうは云っても、人生なんてあっという間なんだから、死ぬときに「まっ、とりあえずオレの人生そこそこだったぜ」とニコッと笑ってお陀仏したいわけです。

    体力は今んところまぁまぁある方だと思います。ここ数年毎週のように山登りに明け暮れたおかげで、足腰だけは強くなりました。足腰だけ強けりゃあとはなんとかなるだろうとタカをくくったものの、さて、田舎に暮らして生活費はどうするか?

    住むとこだっているでしょうし、食費だって、光熱費だって基本的にかかるものはかかる。仙人になろうってんじゃないですから、考えますよねぇ、そりゃ。それにですよ、ただ田舎に移り住んでも、最初のうちは住むだけで満足だろうけどこれだけなら一年、イヤ半年もしないうちに飽きちゃうなんてことも十分に予想されます。

    飽きちゃうことを前提に、飽きない方法はないものか、考えました。
    「そうだ、炭焼きになろう!」これなら退屈しないで済みそうだし、幾ばくかの収入にもなるでしょう。しかも今はやりの環境問題にもつながる。

    山にいって、木を伐れば森の手入れになるし、その木を窯に入れて火をつける。後は煙を眺めて番をする。たったこれだけ。簡単じゃん。というおおざっぱな考えで、歳も55歳を迎えんとするひと月前の昨年10月。ネットで見つけた炭焼き師匠に電話しました。あまり深く考えちゃダメなのよ、こういうことは。

     

    「もしもし。あっ、はじめまして。突然ではございますが、今度そちらで修行したいと思いますので、よろしくお願いしたいんですけど」

    「あんたネェ。炭焼きは金にならんよ。メシは食えんよ」

    と、親方はいきなりこちらのやる気を削ぐ返事。

    「でもですね、もう決めたんです。金はいりませんから弟子にしてください」

    とまぁ、なかばゴーインに無理矢理押し掛けて、弟子にしてもらいました。

     

    それからが、大変。子供たちは有無をいわさず分家独立。家の中を整理して、溜まりにたまった家中の垢を出し切り、さてそろそろと、仕事関係と友達関係にお知らせを出したのが、2月のことでした。みなさん、驚くやら喜ぶやら、とにかく壮行会だぁということになり、全部で5回のお別れ会。あれよあれよで日が過ぎて、予定通り3月の末を持ちまして東京をおさらばしたのであります。

     

    菊炭というのをご存知でしょうか。炭の切り口が菊の花に似ているから、菊炭といいます。

    茶道のお手前に使う炭のことです。お茶を入れる為にお湯を沸かす、そのとき炉に入れる燃料炭のことです。湯を沸かすだけならホームセンターの炭でもいいような気もするでしょうが、どっこいそうじゃない。茶道というくらいですからね、ただお茶飲むだけなのに、飲むまでの道があるわけです。最初から最後までやれ器だの掛け軸だの茶室の入り方やら、とことん決まっているわけです。ということは湯を沸かす為の炭にだって、姿、形、サイズ、が当然決まっておりまして、これを、お茶炭と言います。

    言っときますけど、ボクは茶道のことなんて全く知りません。お茶会なんて行ったこともなければ、見たこともない。

    炭焼きを目ざして突き当たったのが、たまたまお茶炭だっただけのことなんです。

    歴史を遡ればその昔、千利休が褒めたという文書が残ってもいるようです。大阪の池田で集めて京都や大阪に運んだので、池田炭とも言います。

    伝統もあれば、芸術的でもある。他の炭とは一線を画しますよ。一目惚れでしたね、ネットで見た時は。

    これなら続けられる、そう思いました。

     

    窯のなかに炭になるクヌギの原木を入れて焚き口に火をつけると、煙突からモウモウと盛大に煙が吹き出します。その煙を全身に纏いながら空気穴を調節して焼き続けること4日。さらに4日窯が冷えるのを待って焼き上がった炭を窯から出す時の期待と不安。何から何まで始めての経験で飽きることがありません。

     

    というわけで、55歳の炭焼き修行と、田舎暮らしの冒険は始まったばかりです。この先どうなるかなんて見当もつきませんが、とりあえずスタートしたことに満足はしております。暮らし始めて見れば知り合いはできるし、野菜は貰えるし、お米だって貰えるし、近所付き合いも順調です。田舎暮らし、たのしいなぁ。

    次は村の農業委員会にでも行って、田んぼでもかりようかなぁ。

     

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  • OYAJIの夢は、夜の原宿でひらく

    吉田タカコ ライター

    OYAJI世代が青春真っ盛りだった’80年代。原宿は竹の子族やローラー族の聖地だった。読者の中には、ひょっとして「実ははちまき締めてブイブイ言わしてたっす」なんていう、ちょっぴり赤面な過去をお持ちの方もいるかもしれない。

    あれから時は流れ、原宿はゴスロリ女子と巨大ファッションストアがひしめく街に様変わりした。今やOYAJIとはどう考えてもミスマッチな場所の代表格だ。

    だが、そんな今の原宿にも、OYAJIにこそ似合う場所があった。およそ原宿らしからぬ古びた雑居ビルの2階。看板のないわずか三坪のカウンターバーだ。

    10席のみのそのおんぼろバーのたたずまいは、まるで新宿のゴールデン街。そしてカウンターに立つのは、会社員からデザイナー、ライター、編集者、映像ディレクター、カフェオーナーなど日によってさまざま。そう、ここは夜ごとマスターが入れ替わる「日替わりマスターバー」なのだ。

    狭くて急ならせん階段に敷居の高さを感じるのか、この店に一見さんがふらりと立ち寄ることはまれだ。だから各マスターは、自分の知り合いに「今度の○曜日にバーをやってるよ」と呼びかけ、客として来てもらう。マスターはバーテンダーとしては素人ばかりだから、凝ったカクテルは作れない。だからこそ、気心の知れた友人たちに心地よいひとときを味わってもらおうとおのおの趣向を凝らす。知らない客同士が隣り合えば、マスターが軽く紹介し、あらたなつながりをお膳立てする。ときには狭いキッチンで得意料理を作り、ふるまうこともある。そして、そんなマスターの姿を見て「自分もマスターをやってみたい」と思い始める客が出てくる。実はここのバーのマスターたちは皆、かつてお客として訪れたことがある人間ばかりなのだ。そして何を隠そう、このわたくしめもそのひとり。10年前に知り合いに紹介されて飲みに行き、そのままマスターの仲間入りをしてしまったクチだ。

    現在、マスターたちは20代から50代までおり、男女比もほぼ半々なのだが、なぜか特にOYAJI世代にとって、バーのマスターというのは憧れの職業らしい。「本業としてどっぷり飲食業をやりたいわけじゃないけれど、カウンターの向こう側で、伏し目がちに微笑を浮かべながらグラスを拭いている、ちょっと寡黙なマスターみたいなのに憧れてたんだよねー」と熱く語るのは、だいたいOYAJI世代だ。

    本業をきっちり持ちながら、趣味で月に数回、狭いバーのカウンターに立つ。そこには自分を慕って来てくれる、友人や知人たちがいる。言われてみればたしかに、これってOYAJIとしてなかなかイケてるのではないだろうか。

    原宿とOYAJI。このミスマッチを覆す、三坪のオアシス。まずは狭いらせん階段を上り、迷い込んでみてほしい。OYAJIの夢は、夜の原宿でひらくのだ。

     

    ●日替わりマスターバー「DEN」のWEBサイト http://www.harajukuden.com/

     

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  • 幽体離脱入門

    神秘思想研究家 コンピュータ・プログラマー

    ちょうど一年前に書いた拙著「幽体離脱入門」が、いまなお少なからぬ反響を呼んでいると版元から聞き、少し驚いております。

    「幽体離脱入門」は肉体から精神の体=幽体を分離させ、この世と重なって存在する別の世界=幽界に行く技法について書いた本です。幽体離脱は体外離脱とも呼ばれます。臨死体験ともよく似ています。ヨーガ行者などが長年修行しないとできないと思われていた術なのですが、実は誰でもかなり簡単かつ安全にできてしまうものだったのです。

    本が出版されてからたくさんの方からメールを頂きました。読者層は高校生から二十代を想定して書いたのですが、中学生からOYAJI層まで、幅広い世代からの反響が多く少々驚いています。

    タイトルにインパクトがあったようで、新聞広告が出るたびに広告の写真をブログに載せてネタにする方がたくさんいました。実はタイトルに反応しただけで読まずにあれこれ言う野次馬が多かったのですが、本の内容を実践して幽体離脱ができるようになった方もたくさん出てきたのでとてもうれしく思っています。

    練習している最中の人は、つまりまだ離脱できない人は、私のブログのコメント欄に「できない、どうすればよいか?」といったありがちな質問ばかりカキコミするのですが、できた方はなぜかメールでこっそり、そして少し興奮ぎみに報告して来てくださいます。成功したならカミングアウトしてほしいところなのですが、できてしまうと表立ってはあまり言わなくなるようです。わずかな例外があるとはいえ、幽体離脱は他人とわかちあえない自分にとってだけの真実です。幽体離脱に対する世間の先入観や迷信への懸念、物的証拠を提示できず実証困難なこと、この現象を知らない人々に説明することの難しさ、などが理由だと思います。

    わかちあえない真実をたくさん胸に秘めていると、だんだん息苦しくなってくるというのもあって、一冊の本にして世に出せたのはとても幸いでした。本として成立する完成度まで、これまでの経験と知識を集中してまとめるという作業がとても有益だったのです。長年の重荷が消えて、とてもすがすがしい気分になれました。どのように評価されるかは、あとは野となれ山となれです。

    できるようになった方は、知る前から批判したり恐れたりする迷信深い人々が、たくさんいることに改めて驚くかもしれません。未知に直面したとき、人はその自覚もないまま迷信深くなってしまうのです。

    大切なのは、世間の常識、権威、多数派がどのような意見をもっていようが鵜呑みにせず、わからないことを自分で調べ考え試してみる精神です。

    『幽体離脱入門 霊トレで離脱は誰でもできる』(アールズ出版)
    幽体離脱入門 霊トレで離脱は誰でもできる』(アールズ出版)

    幽体離脱はとても考えさせられる体験です。意識の謎、自分という存在の謎、生と死の謎、宇宙の謎、様々な謎をつきつけられます。考えてもわからない事ともいえますが、その思索の過程で様々な自己発見と知識の深まりが生じるでしょう。

    本書が、世の中の常識や風説、無自覚な先入観にまどわされることなく、物事を探求して行ける知性を育むきっかけとなることを願っています。

     

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  • クルマがあれば“モテる”し“ヤレた”!?の伝説

    小沢コージ カージャーナリスト

    今じゃ到底信じられない、クルマがあれば“モテる”あるいは“ヤレた”の伝説。信じられないだろうが本当にあった。

    恥ずかしながら不肖小沢の体験をご披露しよう。当時の俺は某自動車専門誌で働いていた。編集者ともなれば、土日ほぼ無しで締切前は昼夜なく働く。それが基本だ。

    だが、大してツラくなかった。なぜか? 夜中にいいクルマが引っ張り出せるからだ。特に当時は外車中心の編集部にいたので、ゴルフやボルボは当たり前。時にはBMW、メルセデスクラスまで常時駐車場にあった。

    中でもポルシェはご馳走だ。頻繁ではないが「ポルシェの号は売れる」という伝説が、長らく業界内にあったので(今も“少し”ある)、年に1、2回はポルシェ特集となる。すると永遠の名車911やら当時あった4気筒モデルの944や968が編集部に出揃う。

    その日はたまたま911カブリオレを借りていた。しかも色は赤。行くっきゃない! 俺は勝手にそう決めた。なんせ金曜の夜中だし、当時の俺は20代だ(笑)。

    編集部内で、「今回(原稿の)担当だし、もうちょっと乗りたいんで」とさりげなくネゴシエーションし、俺はおもむろに911のカギを取って駐車場に向かった。

    カチャリ…当時の空冷ポルシェが持っていた独特の“金庫フィール”のドアに俺は震えた。当時はデートカーブーム醒めやらぬ頃で、中でもポルシェと言えば運転席に座るだけでなりきり石田純一(笑)。「これさえあれば100万馬力…」その瞬間の俺は笑っていたに違いない。実際、当時のポルシェはそれくらいのパワーがあった。確実に力を与えてくれたのだ。

    俺は迷わず六本木に向かった。あてなんかない。だが、交差点ではみんなが俺を見ている気がした。で、当時は(今もそうだが)流行のキャミかなんかを来てるキャバ嬢が、チラシ配りで路上に出ていたので、さりげなく声をかけてみた。

    「暑いね…」

     と言ったかどうかは全く忘れた。だが、とにかく目の前で電動オープンをグワーっと開けたら
    「すごーい!」と言われたことだけは覚えている。俺はそれを何回か繰り返した後、とある子に
    「店が終わったら…ドライブしよう!」
    と言わせることに成功した。

    今も昔もキャバが終わるのは午前2時か3時。あの時は2時だったと思うが、俺は店から出たら分かるところに真っ赤なポルシェを止め、待った。

    ホントに来るかな…? とは思った。だが、ホントに来たのだ。

    その後、俺はなにを話したか、盛り上がったかどうかかなんて覚えてはいない。

    ただそのまま横浜に行った。そして中華街で飯を食って…その後は定かではない。

    今度会ったら直接俺に聞いてくれ!(笑)

     

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  • 80年代とポップ:ミュージックと私

    加藤直裕 FMヨコハマ 放送本部編成

    私にとって80年代は、高校から大学まで学生生活が中心だった時代だ。本当に毎日が楽しくて、楽しくてしかたなかった。中でもどの時代に戻りたいか? と問われれば、迷いなく高校時代と答える。

    江ノ電に揺られながら通った3年間、当時は冷房なんてついていない古い車両がほとんどで、しかも電車は2両編成。通学時間は学生でぎゅうぎゅう詰めになりながら、特に夏は窓を全開にして、それでも汗が止まらず乗ったものだ。

    藤沢駅から乗って腰越駅を過ぎると、目の前に湘南の海がぱっと広がる。そのとき、窓を通して車両にそよぐ湘南の風は最高に気持ちよかったし、その風景は毎日見ても飽きなかった。加えて教室からは遠くに江ノ島が見え、席替えで運よく窓側に座れれば、授業そっちのけで海をぼんやり眺めて過ごしていたものだ。

    そんな恵まれた環境で多感な時期を過ごしたせいか、今でも、ときどきふらっと訪ねたくなる。自分にとって、気持ちをリセットしたいときに足を運ぶ、大切な場所なのだ。

    つい先日のこと、思うことがあり、思い出の地に出かけた。高校の最寄り駅を降り、国道134号線を渡ればすぐに海。授業をさぼって仲間と弁当を食べて語りあったり、デートで散歩したり、部活で砂浜ランニングをした辛い思い出もある。数々の記憶は、そう簡単に波には流せない。

    砂浜に腰を下ろしたら、かばんからいつも持ち歩いている携帯プレイヤーのヘッドフォンがこぼれ出た。いつもは最新アルバムから気になったものをダウンロードして聞くことが多いが、あてどなく海を眺めるなら、BGMは何がいいだろう? と、ふと考える。

    やはり思い出いっぱいの80年代の洋楽だろうか。楽曲もアーティストも百花繚乱の80年代。

    高校の周辺は、あの頃と違い、マンションや戸建が多くなったようだが、空気感はなぜか全く変わっていない。それは今80年代に流行っていた洋楽を耳にしても、色褪せずに聴ける感覚と似ている。

    私が今でも高校前の海を目指すのは、あの頃を懐かしむノスタルジックな気分に浸りたいのではなく、夢をいっぱい抱いていたあの頃の自分でいられるように、海から元気をいっぱいもらいたいのだ。

    音楽にも確かにそんな力がある。あの頃2代目ウォークマンを絶えず持ち歩き、カセットに詰めた音楽からたくさんの元気をもらった。

    80年代の名盤を挙げればこれもきりがないけど、高校時代に戻れる1枚だったらTOTOの「TOTO IV〜聖なる剣」が真っ先に思い浮かぶ。真っ赤なジャケットに聖なる剣が中央にあるシンプルなジャケットも、収録曲もパワフルなサウンドで高校生の私には衝撃的にかっこよかった。ラストの「Africa」は、アフリカには行ったことも興味もなかった世界だけど、郷愁誘うサウンドにかなり酔わされた。今でもラジオから流れてくると、作業している手を止めて聞き入ってしまう・・・魅力あふれる1枚だ。1982年度グラミー賞で7部門受賞という快挙を成し遂げたのも十分うなずける。ウォークマンで何度繰り返し聴いたことだろう。

    TOTO IV〜聖なる剣

    ♪トコトドン・・・と、かばんからこぼれ出たヘッドフォンから、かすかに「TOTO IV〜聖なる剣」の1曲目「ROSSANA」が聞こえた気がした。できればデジタルプレイヤーのクリアな音ではなく、2代目ウォークマンのようなアナログな音で聴きたい。そうすれば私は間違いなく高校時代にワープできる。

     

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  • 「身体」は大人にとってのあらたな情報系なのだ

    いとうせいこう 作家・タレント・クリエーター

    年をとると体調の話ばかりする、というある種の常套句があるがなぜそうなのかを真面目に考えたことがなかった。もちろん、事実体調がすぐれなくなるからなのだが、もしかするとそれ以上に「自己にとって新しい情報体系を前にして知識欲が湧いている」ととらえることは出来ないか。

    その知識はまた、若い頃と違って身体感覚に直結しており、幅が広くて深い。我々は体調不全に悩んでいるのと同時に、「身体」という新たな情報系に興味を奮い起こされている。あたかも幼児が言葉を覚えるように、我々大人は体調不全を日々体験するのだ。

    そう考えれば、我々は日々新鮮な人生を受け入れんとしているのであり、この観点からの情報誌が是非欲しい。

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  • こんな気持ち、若いヤツにはわかんねェだろ!!

    カーツさとう スローメディアプロレタリア

    そーか『OYAJI Hot-DogPRESS』か。“オヤジ”って入っちゃってんのかタイトルに。

    でもさ〜、なにも自分から、
    「オレ、オヤジです!!」

    なんてわざわざ宣言しなくてもいいんじゃないですかね?

    だってそうでしょう、いわなくたってみんもうとっくに気付いてんだから。加齢臭だって確実にするしさ、頭髪なんか、薄いか白いか、どっちか必ずガタきてますよ。とんだ有り様ですよ。

    そんな有り様こいて、
    「オレ、オヤジです!!」

    って、オレはそんな自虐的にはなれない!

    そんな哀しいセリフ、絶対吐けない。

    回りの連中に、いっくら心の中で、
    「あのクソオヤジ!」

    と思われようが、自分からは絶対にオヤジだと名乗れない。名乗りたいない。だって本当にオヤジなんだもん、そのくらい虚勢張ってなきゃ、モテないもんがますますモテないでしょ。

    正直“OYAJI”って文字見た時、あ〜オレか……って思ったさ。あ〜思ったともさ。思ったからこそ、思いたくないんだよ。

    チッショ、こんな気持ち、若いヤツにはわかんねェだろバカヤロッ!

    いっとくけどな、オレだって昔は若かったんだよ。肌なんかツヤツヤしてたんだ。駅の階段登っても息切れしないしさ。そういや、そんな若い頃は、“OYAJI”って入らない方の『Hot-DogPRESS』で“こうすれは女はイチコロ”みたいなモテる為のマニュアルとか書いてたなァ〜。

    いわばモテる術を当時の若者に教えてたワケだ。そしてオレ自身も毎夜の如くシャレたバーやクラブに出没しては、「オレもモテてェ〜よぉおおお!」っていっつも半べそかいてたなぁ…。全然ダメだったなァ〜あの頃からアチラの方は。それ以来ズーッとその調子だから、自分のことをオヤジだなんていいたくないのっ!!

    以上わかった?

    ついでながら、今まで書いたことを一言まとめるならば、ようするに誰かいい人いませんか? ということです。自分でいうのもなんですが、セールスポイントは年齢的に体力落ちてるんで、しつこくないってことですね。ようするにオヤジっつうよりジジイになりかけです。合掌。

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  • オールドニューパパ

    鈴木裕治 編集プロデューサー

    このオレがパパ!? イメージ

    「子供が出来たらしいの」

    40過ぎの妻がこんなショッキングな告白したのは、目黒の山手通り沿いのSという寿司屋。2人で正月休みはゴールドコーストでのんびり過ごそうと、旅行の打ち合わせのはずだった。
    「エーッ||マジっすか」

    と、思わす飲みかけの生ビールを吹いて、絶句してしまったのだが、思い浮かんだのは、小学校の運動会で子供をオンブした自分がコケている場面であった。

    こっちは、50歳過ぎて、これからどう余生を過ごそうか、と盛りがすぎた人生の収め方をそろそろ考えようと思った矢先。数年前、小学館の雑誌で大橋巨泉氏を取材するために、オーストラエリアまで行って、いかにハッピーリタイヤをするか、とご教授された身で、当時、あんな老後を夢見た中年も多かったはず。自分には穏やかな生活はもうこないのだ、と漠然と感じつつ、ゴールドコーストは諦めたのだった。


    結局、妻は3ヶ月後会社に産休届けを出した。

    ウエストラインが上で、妊婦でなくても着られるような服を身にまとい、妊娠線が出ないクリームを塗り、イライラや冷え性予防のハーブティーを飲んで、出産準備に入った。

    男は準備といっても何も無く、気が早いがマクラーレンのベビーカーをネットで注文したりした。67年、当時英国の航空工学者であったマクラーレン氏が、娘のために折りたたみ式ストーラーをデザインしたのが始まりという。F1のマクラーレンとは全く関係ないのである。


    僕らの世代は、バブル真っ最中の頃、DINKSとか言って、子供は作らず、夫婦で優雅に暮らすのが最先端とされていた。それが、バブルが弾けた90年代になると、やっぱり、幸せは家族だよなあ、などと映画も雑誌も価値基準を180度変えてしまった。経済が停滞すると内側に関心が行くモノで、オイオイ、それは無いだろう、と突っ込みたいのだが、価値感は変わっても、インカムが減って、子供がいると生活が大変、旅行も自由に行けないし、と、皮肉にも子供がいない夫婦も多くなった。


    出産は東京に人が少なくなった真夏。早朝だったので、現場には立ち会えなかったが、広尾の合病院で子供と初対面。

    看護師が「娘さんですよ」と言って、子供を抱いた姿を写真に撮ろうとした。その時、考えたのは、やっぱり、嬉しそうな顔をしなきゃマズいよなあ、だった。父親の実感なんて、子供を抱いただけでは湧かない、テレビ番組のシーンはウソだな、と思ったのだった。


    ※50歳過ぎて子供ができたオールドニューダッドを大募集。何人か集まれば、高年齢パパも楽しいコミュニティが出来るはず。賛同者は、 までご連絡を。

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  • 25年目のアッシーくんとヤリマちゃん

    黒部エリ NY在住ジャーナリスト

    「アッシー」

    そのコトバを初めて聞いたのは、80年半ばのことだった。当時絶大な人気を誇っていたホットドッグプレスの「女のコ」特集。編集部ではよく現役女子大生たちを集めて、恋愛観だのデート観だのを取材していた。そこで女子大生が口にしたのが、
    「アッシーはよく使っているよね」
    という話だったのだ。おわ、なんだ、それは。よく聞いてみると、足代わりの男のことだという。ほほーう。頭のなかで電球がついたよね。だってそれまでになかった概念だったんだから。
    「ヤリマ」というコトバも、同じく女子大生の座談会で初めて耳にしたのだが、こちらはまだわかる。いつの時代でも同じ悪口は存在するからだ。

    しかし「アッシー」「メッシー」という男の使い分けというのは、それまでなかった概念で、恋愛の地軸を変えるインパクトがあった。そしてコトバというのは出来た時から現象として存在し始める。

    さっそくHDPの女の子特集で使い始めたアッシー、メッシー、ヤリマといった用語は巷に広まって、時代を表す流行語になった。

    思えば80年代は、日本で初めてギャルという人種が台頭した時代だったのだ。それまで堅気の女子にとっては、つきあってもいない男にモノを買ってもらったり、車で送迎させたりという行為はあまりよろしくないとされていたのだ。少なくとも美人以外は許されない特権だった。ところがこれが80年代半ばから全国的に誰でもオッケーになったのだ。ま、 ハッキリいってこれはホットドッグプレスの功罪ともいいますね。

    そういえば先日30代の男性と話していて、こういわれた。
    「高校生の時は、HDPの女の子特集を愛読していました。HDPを切り抜いて、デートの時に女の子は髪を触るのはオーケイ・サインとか暗記したもんですよ!」

    ひえー、やばス! そんなに多感な青少年たちに影響を与えてしまっていたとは。頭から信じ込んでいた少年たちはお気の毒なものである、南無南無。

    当時の若者たちはようやくデートの仕方を覚えたばかりだった。その方法を教えたのがマニュアル雑誌で、おかげで全国のカップルたちはバースデーにはフランス料理に行ったり、クリスマスにはホテルに行ったり、湘南でサーフィンしたり、苗場にスキーに行ったりして忙しく遊んだ。今から考えるとバカみたいだが、当時はみんな好奇心旺盛で、一生懸命背伸びしたのだ。

    日本経済は空前の上り調子で、全国民的に「消費が美徳」になる風潮があった。それまでは一部のものだったデート文化を、全国津々浦々まで広げたのはHDPの力だったと思う。まさに80年代こそデートの夜明け、英会話におけるナイスツーミーチュー、水泳におけるビート板バタ足みたいなものだったのだ。

    そして人間というのは背伸びすることで、その高さに足りるだけ成長もする。当時の青少年たちにとって背伸びはその後決してムダにはならなかったと思う。

    そのままいけば日本に恋愛上手な若者たちが増えていくはずだった。日本はバブルでイケイケどんどんのはずだったのだ。

    ところが未来というのは、予想していなかった方向に進化する。

    その後日本経済は大コケした。ギャル・パワーはといえば右あがりで増していってコギャルだのエンコーだのが出始め、ついに汚ギャルやガングロだのが出現したあたりからもはや成層圏を突破してしまった感がある。

    それも奇妙なことに日本の女性パワーは「ギャル」という括りのなかでイジョーに進化したのである。

    日本における女性の社会進出は経済先進国のなかで進んでいるとはいえないし、働く女性にとって子育てがしやすいシステムが整備しているわけでもない。

    なのに、これほど女性限定サービスが充実しているところはない。流行が常にギャルから始まって、ギャルをターゲットにすることで商売が成りたつ日本というのは、かなり特殊な社会なのだ。

    いっぽう男性のほうが右下がりでおとなしくなり、今や女子よりこぎれいで従順になってしまった。それどころか草食男子まで出現しているらしい。

    私自身は現在ニューヨークに住んでいるが、草食系男子なんて存在していない。もし「セックスには淡泊」とか「女の子にガツガツしていない」なんていったら、NYでもミラノでもモンバサでもイパネマでも「はああ?」と首をかしげられるだろう。

    今どき青山だの代官山だのを行く男子たちはおしなべてオシャレでスタイルがいい。マニュアル雑誌で学んできた成果が出ていて、東京ほど若い男女が美しいところはない。しかしながらそのいっぽうで女のコとつきあったことのない「喪男」がたくさんいるというのも、現代の日本をよく表している。

    80年代にHDPが掲げていたのは「HDPを読めば、誰でも恋愛できる!」という恋愛の民主化だった。それがいつの間にか、恋愛も格差社会になり、それどころか恋愛なんかいらないという若者も増えている。それは「お金がないから恋愛できない」なんてことじゃなくて、「少し上のものを手に入れたい」という欲望がなくなったことじゃなかろうか。現代ではアッシーは草食系男子に、ヤリマは肉食系女子にスライドしたが、かつてアッシーくんたちが利用されても、一縷の希望にすがってカノジョを追いかけ回した「しつこさ」や「あきらめの悪さ」は現代ではとうに消えている。80年代には憧れだった洋楽や外国映画に対する好奇心も持っておらず、読み物といえばケータイでタダ見するものだと思っている若者も増えている。それは省エネでエコな生き方ともいえるけれど、そのぶん若者たちは執着という最大のパワーを失いつつある。

    往年のHDP少年たちも今では若い草食男子たちから「うざい、暑苦しい」と思われているだろう。けれどもここまできたらいっそしつこく、暑苦しく、どこまでもガツガツしていってもらいたいものだ。若者がジミに家飲みなんてしている間に、HDP世代のオイたんは世にはびこって、いい音楽やいい本やいい店を独占していけばいいのだ。いやいや、オヤジに留まらず、この先ジジイ・ホットドッグプレスを目指して「こうすれば施設でモテモテ!」とか「おしゃれ喜寿ファッション!」なんて記事を出しいくっていうのはどうよ。

    もっとも未来は思いがけない方向に進化するものだから、この先も意外な展開が待っているだろう。次はどんな突然変異をしたアッシーくんやヤリマちゃんが出てくるのか、それを知るのも楽しみではある。

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  • オヤジとクルマ−−クラウン、その魔力とは…

    小沢コージ カージャーナリスト

    オヤジとクルマといえば「クラウン」抜きに語ることはできないであろう。

    1955年生まれのヘタすると日本最古のオヤジブランド。あまりにも有名なコピー「いつかはクラウン」はとっくに風化したと言われるが、いまだ毎月のセダン売り上げベスト3には確実に入り、タクシーで見かけぬ日はない永遠のオヤジアイドル。その存在はまさにオヤジグルマのホームラン王、いや永久名誉監督と言っても過言ではない。

    前置きが長くなったが、その若人には分からぬクラウンの魅力。それは「癒し」にある。ちょうど都会で遊び遊ばれ、しかし結婚も出来ずに郷里に戻ってきた、ワリとキレイな30オンナが、ふと地元の言葉少ない、しかし笑顔の温かい老舗和菓子屋の長男と結婚してしまうようなものだ。ベンツで苦労し、BMWで危ない目に合い、GT-Rを壊した男が、家業を継いで買うのである。

    クラウン、その魔力は日本の土着的安らぎにも似ている…なんてね!?

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